映像を学んでいたこともあり、学生時代からかなり映画を観てきました。

昨夜、『After Yang』を観ました。

見る人を少し選ぶかもしれませんが、
久々に「いい映画だなあ」と感じたので、今日は映画のレビューをしてみようと思います。

ミニシアター系の映画が好きな人には、ぜひ観てほしい作品です。

近未来の家族の話。

派手な展開も、大きな事件もありません。ただ静かに、美しい時間が流れていきます。

AIやクローン、「テクノ」と呼ばれる人工生命の違いも興味深く描かれていますが、観終わったあとに残ったのは、

「人間とは何か」

という問いでした。

さまざまな人種や文化、人工生命を含む未来的な家族の形と、喪失、記憶。

その先に、

「私たち人間とは、いったい何なのか」

という問いが見えてくる映画でした。

全体を通して、アジア文化へのリスペクトを感じる映画だったのですが、
作中で岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』に登場するアーティストの曲が流れます。

『リリイ・シュシュのすべて』は実験的な取り組みをした映画で、
実際に劇中登場する歌手(Salyu)は映画公開時に「リリイ・シュシュ」というアーティストとして活動もしていました。私はそのライブにも行ったことがあります。

美しい映像と音楽と対照的に、
田舎に暮らす中学生たちの思春期の闇や儚さ、心の声や絶望を描いた作品です。

その歌が流れたとき、私は、この映画を観ていた14歳の自分に引き戻されました。

登場人物たちは14歳。私がこの映画を観たのも14歳でした。

美しい田舎。どこまでも続く青空。風に揺れる草。

その圧倒的な美しさの中にある、人間の孤独や暴力、絶望。

観終わったとき、

「なんて私の心を描いてくれている映画なんだろう」

と思ったんですね。

あれほど自分の心を代弁してくれた作品には、その後もなかなか出会っていません。

当時はビデオテープで、VHSが擦り切れるほど何度も観ました。

でも同時に、世界の美しさと残酷さを、あまりにも早く知ってしまった作品でもありました。

その後、私は映画の世界へ進み、美術と映像を学び、自主映画や映像作品を制作しました。

作品を上映していただいたり、映像表現について藝大で講演したりしていた頃

岩井俊二監督の制作会社「ロックウェルアイズ」の方が、上映を観に来てくれたこともあります。

スクリーンの向こう側にあった世界の中に、自分が立っていました。

今、私は映画ではなく、天然石やアンティークを扱っています。

全然違う人生に見えるかもしれません。

でも、私の中では同じことをしています。

映画が光や時間を切り取るように、

私は、地球が何千万年という時間をかけて生み出した鉱物や、人から人へ受け継がれてきたアンティークの中に、「時間の記憶」を見ています。

その美しさに、なぜ自分の心が動いたのか。

それをどこかにいるかもしれない誰かと共有したい。

そんな思いが原動力です。

それは、映像やアートをしていた頃とあまり変わっていなくて、
宇宙のどこかにモールス信号を送っているようなことなんです。

「わたし、こういうの好きなんだけど。

誰か、これを見つけて共感してくれないかな」

って。

それはとても私的で、個人的で、大衆文化とは少し違う、とってもパーソナルな動機です。




希望を売らない映画

『After Yang』の中で、故障してしまった「テクノ」であるヤン。

家族は、ヤンのデータにアクセスします。

そこには、宇宙に浮かぶ記憶の星々のような、たくさんのかけらが残っていました。

残されていたのは、人生を変えるような大事件ではありません。

木漏れ日。誰かの横顔。一瞬だけ交わした視線。

ただ、「美しい」と思った。

心がふと動いた瞬間。

人間とは、どれだけ知識を持っているかではなく、何を美しいと思い、
何に心を留める存在なのか。

そんなことを考えさせられました。 

 

 

そして、心に残ったのは、ヤンが「死」について語る場面です。

死んだあとに何もなく、それですべてが終わるとしても、
自分はそれで構わない


というようなことを静かに語ります。

それに対して、人間であるカイラは、

それは悲しくないの?

と問い返します。

以前の私なら、カイラの感覚に強く共感していたと思います。

私はインドの修道院で育った生い立ちもあるので、
輪廻転生やカルマという考え方を学んできました。

この命は何らかの形で続いていき、
人生は、魂の成長へ向かうためのものなのだと。

けれど、夫のブランドンが僧侶を辞める際に起きた
一連の出来事を経験してから、私はそうした思想を、以前と同じようには受け取れなくなりました。

真理を教え、学び、実践し、人道支援をする。

しかし人が集う以上、どれだけ国や人道支援や平和をうたっていても、
組織であり、利の生じる集団であるのです

その裏側を見てしまったので、最も古いとされるヴェーダンタ哲学の思想さえも、
それは都合の良い人間の解釈であり、ときには人を動かすために利用されているようにも思えたのです。

でも同時に、

「今の苦しみにも意味がある」
「もっと正しく生きなければならない」

と人に思わせ、従わせるために使われることもあります。



このシーンを見て感じたのは、
この映画は「希望」を売ろうとしていない、ということでした。

死後の世界の約束なんてなくてもいい。

そう語るヤンに、私は真理を見たような気持ちでした。

ただ、人生はあるがまま人生のままでいいのだと。

美しい瞬間は、永遠に残るから美しいのではなく

確かにそこに存在したから、美しい。 

 

私たちを人間たらしめるものとは、何だろう。

その問いへのひとつの答えとして、

「死ですべてが終わるとしても、それでいいのかもしれない」

という、ありのままにこの世界を見るヤンの視点。

美しい映画でした。 

 

 

で、私はとっても気に入って、

エンドロールが流れて横を見たら、ブランドンはいびきをかいて爆睡していました(笑)

かれは大衆映画的なアクションとかコメディーが好きなんです(私はきらいw)

つくづくチグハグな私たちでした。笑

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AIONIA

ー永遠を宿すものたち。
Born of Eternity.
Shaped Light.
˚✧₊⁎・:.。:・゚
自然が何億年もの時をかけて育んだ鉱物。
歴史を重ね、受け継がれてきたアンティーク。
職人の手によって生み出されるジュエリーやアート。
AIONIAは、時間とともに育まれ、物語を宿した美しいものをご紹介するブランドです。
自然が生み出したもの。
人の手が受け継いできたもの。
そして、これから誰かの人生の中で、新たな時間を刻んでいくもの。
一つひとつの出会いが、時を超えて心に残る存在となりますように。

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