今日は少し、

泥臭いエッセイのようなブログを書こうと思います。

仕事について。

そして、人生について。

いきなりですが、

実は私、自分で自分を「結構がんばってきたなあ」と思っています。笑

自分を過大評価しているわけではありません。

これまでの人生を振り返ると、「よくぞここまで、それなりに生きてきたな」と、客観的につくづく思うのです。

私の育った家庭には、かなり複雑な事情がありました。

親は公務員と元工芸作家でしたが、世間が想像するような安定した家庭ではありません。

いまだに実家へ帰るたび、家の中を眺めながら「この環境から、よく育ったな」と感じます。

かなり波瀾万丈な人生を歩んできたほうだと思います。

そして、パートナーのBrandonもまた、普通とは少し違う道を歩んできました。

Brandonは35年間、インドで出家僧として奉仕の人生を生きてきた人です。

収入も、貯金も、資産もありません。ほんとうに持ち物もお金も何もない。笑

しかし、組織の中ではそれなりに立場のあるお坊さんだったため、

基本的に修行や世界を飛び回って講義をしたりするのが毎日の仕事。

日常に必要な家事すらほとんど経験していませんでした。

最初は洗濯も、掃除も、炊事もできない状態・・・。

そこに若年性アルツハイマーも重なり、
かつて自在に操っていた言語や日常的な判断力も、失われて。

かつては新宿などでも、ヴェーダンタ哲学を日本語で講義していた彼ですが
今は日本語ももうほとんど出てきません。

団体を離れるとき、
彼が持っていたのはパソコンと4枚のポリエステル製の袈裟くらい。

そして、アルツハイマーの治療を妨害され、
そのわずかな持ち物さえ、去る際に没収されました。

表向きには人道支援を掲げる団体が、
一人の人間に対してなぜそのような仕打ちができるのか。

その経緯については、現在、本を執筆しているところですが。

出家生活を終えたBrandonを迎えてから、

私は介護をしながら、ビザや行政関係の申請、病院とのやり取り、毎日の世話を引き受けてきました。

同時に、商品の仕入れ、販売、Webサイトの運営、撮影、

商品説明の作成、梱包、発送まで、ほぼすべてを一人で行っています。

「人を雇ったほうがいいかな」と思いながらも、
ここ最近まで状況が安定しなかったこともあり、

なかなか現実には至っていません。

当店は今年で細々と続け、

古参になりつつありますが、

そもそも、私はビジネスについてはほとんど素人でした。

20代は映像作家として活動しており、

作品が美術館で上映されたり、新聞に掲載されたり、

大学などで講師を務める機会もありましたが、体系的に経営を学んだことはありませんでした。

その後、体調を大きく壊し

そこで、もともと苦手だった運動を克服したいと思い、解剖学、筋力トレーニング、栄養学を一から学び、

資格をとってボディビル系のパーソナルトレーナーになりました。

一時は表参道で経営者や夜職の方などに体づくりを指導していて、
その仕事ではそれなりに収入も得られましたが、

心のどこかで「本当にやりたいこととは、少し違う」という違和感がありました。

そこからオステオパシーやクリスタルについて学び、

コンサルティングと並行しながら、

コンテンツビジネスの世界にも少し足を踏み入れました。 

しかし、そこでも違和感は消えませんでした。

「成功」や「豊かさ」を掲げながら、

実際には人の不安や欲望を過剰に刺激して

お金を動かしている人がほとんどだったからです。

豪華さや成功の演出ばかりが目立ち、

人間として何を大切にしているのかが全然見えてこない。

そこにも、私の居場所はありませんでした。 

そうして最終的にたどり着いたのが、

天然石やアンティークを扱う現在の仕事です。 

 

振り返ればなんだか道なき道をずっと自力で生きてきたように思います。

凸凹の気質もあるため、得意なこともあれば、

人より苦手なことも山ほどあります。

細かな事務作業や整理整頓は苦手ですし、

人間関係も得意ではありません。 

いまは動物病院でも時々仕事をしてますが
動物と接しているほうが、しっくりくるというか、心が落ち着きます。

 

Brandonが教団を離れる一連の出来事では、嫌というほど人間の本質を突きつけられました。

信頼していた人に裏切られたり、助けを求めても誰も動いてくれない。

「困っているのに、助けを求めても誰も助けてくれないのだな」と、

胸が潰れるような失望を味わったこともあります。

社会的には成功し、正義を語りながら、

自分の立場にすこしでも犠牲になる要素があれば、途端に黙り込む。

そんな人がたくさん私たちのまわりを通り過ぎていきました。 

実際に困っている時に助けてくれる人というのは、
意外にも友人や信頼していた人ではありませんでした。


それはなんだか

今の世の中を象徴しているようにも思えました。

きっと、これからの世界は今よりさらに厳しくなっていくのでしょう。

経済的にも社会的にも分断は、これからさらに広がっていくのかもしれません。

世の中が混乱とえげつない方向へ進んでいくとき。

すべてを放り投げたくなる時に、
失望したからといって、自暴自棄になったり、不平不満をこぼすのではなくて、

「腐らずに生きる」というのがキーポイントだなっておもうのです。

それはいつも無理に明るく前向きでいることではありません。

怒りを消すことでも、すべてを許すことでもない。

傷ついたことを傷ついたと認め、理不尽なものには理不尽だと声を上げながら、
それでも自分の中にある誠実さを手放さないこと。 

 

Honestyという道徳的な意味での「正直さ」ではなくって、

Truthfulに生きることなのだと思います。

自分の内側にある<真実>から、逸れずに生きること。

自分が本当は何を感じているのか。

何を美しいと思い、何を醜いと思うのか。

何を守り、何には加担しないのか。

それを、自分自身に対してごまかさない。

「正しいか、正しくないか」という議論ではなく、

結局のところ、個人の持つ人生に対する美意識の問題なのだと思います。

 

世の中には、若者が挫折を乗り越え、未来を切り開いていく華やかな物語がたくさんあります。

けれど、人生の酸いも甘いも噛み締め、時間の限りや努力だけではどうにもならない現実を知った大人が、
それでも自分の人生を泥臭く変えていく話は、意外とないんですよね。

派手さがないし、

奇跡の大逆転が起きるわけでもなければ、一晩で世界が変わるわけでもない。

毎日少しずつ働き、片付け、書類を整え、大切な人の世話をし、失敗してはまたやり直す。

誰にも注目されない、地味な作業の積み重ねです。
 

けれど、本当の人生本質的な部分は、そこにあるのではないでしょうか。

華やかな成功譚よりも、何度も嫌になりながら、
それでも自分の人生から逃げずに泥臭く向き合い続ける。

たくさん傷や汚れのついたアンティークの道具たちのもつその

歴史のようなもの。


そういった静かな挑戦の中にこそ、 

その人がどのように生きるのかが現れるのだと思います。

お店も、仕事も、Brandonとの暮らしも、これからどうなっていくのかは分かりません。

けれど、前を向いていきていく、ということ。

削られ、磨かれ、長い時間や国境を越えてもなお、

<そのもの>として在り続ける石やアンティークたち。
 

そうしたものの中に、「それでも腐らずに生きていく」という静かな精神を感じます。

傷や欠け、経年の跡を抱えながら、それでも内側の輝きを失わずに残っているもの。

すべてを無傷のまま保っているのではなく、さまざまな時間を通り抜けたあとにも、なお本質を失っていないもの。

時代や環境に削られても「自分自身であり続ける強さ」 

世界もまた大きな過渡期へ向かっているように感じます。

そんな時代の中でも、

私は自分の内側にある「ピュアネス」を失いたくありません。

それは、現実を何も知らない無垢さでなく、

弱さや残酷さを知り、失望したあとにも、自分の真実を裏切らないこと。

そういう、不屈の精神の輝きのようなもの。 

私自身も、そして私のビジネスも、そうありたいと思っています。

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AIONIA

ー永遠を宿すものたち。
Born of Eternity.
Shaped Light.
˚✧₊⁎・:.。:・゚
自然が何億年もの時をかけて育んだ鉱物。
歴史を重ね、受け継がれてきたアンティーク。
職人の手によって生み出されるジュエリーやアート。
AIONIAは、時間とともに育まれ、物語を宿した美しいものをご紹介するブランドです。
自然が生み出したもの。
人の手が受け継いできたもの。
そして、これから誰かの人生の中で、新たな時間を刻んでいくもの。
一つひとつの出会いが、時を超えて心に残る存在となりますように。

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